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介護職の社会的地位の向上のために必要なこと

昨今、介護施設での虐待などが話題になっています。
同じ介護業界の人間として、心を痛めています。

なぜ、虐待は繰り返されるのか。

いくつも問題は指摘されますが、
個人的資質の問題が一番大きいと思います。

しかし、個人的資質を面接などでふるい落とす余裕のない、
人手不足の状況が介護業界にはあります。

人手不足となる理由は、よく、
きつい、汚い、金が安いの3Kと言われます。
この中で一番の問題は、「金が安い」だと思います。

仕事がきついのは、お金があれば、
何とか経営上解決出来る可能性があります。

また汚いのは、経験上、慣れてしまって、
平気でご飯の最中に排泄の介助に行くことが出来るようになります。

介護業界では、介護報酬の引き下げを問題にしますが、
ではなぜ、介護報酬が上がらないのかという疑問がありました。

財政上の問題はもちろんあると思いますが、
簡単にそれだけにとどまらない話があるのではないかと思ったのです。

現実、以前働いていた看護師さんの転職のサポートとの比較では、
看護師の給与は介護士に比べて1.5倍~2倍程度高かった。

社会として本当に必要とされるならば、
財政支出は増やさざるを得ないはずです。

看護師は必要とされているのに、
介護士は必要とされていないのか。

そんな中、大田仁史先生の「介護期ハビリテーションのすすめ」
という本を読み、ピンとくるところがありました。

それは、「介護職の社会的地位の向上のために」という節の中にあった、
臨床研究の不足という話です。

医療は、個別性→普遍性→個別性という臨床研究を、
診断→治療→治癒or死亡の場合の病理解剖という双方向の中で続けた結果、
今日のような飛躍的な発展があったと言われます。

介護ではどうか。
介護は医療と異なり、治癒を目指すことは出来ないので、
何を目指すかと言えば、「尊厳」です。

では「尊厳とは何か」と言われると難しいので、
大田先生は逆の発想で、尊厳の逆を考えます。

尊厳の逆は「虐待」であって、これは既に5つに分類されています。
①身体的虐待
②心理的虐待
③性的虐待
④経済的虐待
⑤ネグレクト

なので、こういったものの逆を考えていけば、
尊厳にたどり着くというわけです。

①身体機能がなるだけ保持される
②健全な精神状態を保っている
③性的嫌がらせを受けない
④必要最低限の文化的な暮らしが出来る経済状況である
⑤気持ちに沿う介護を受けている

というところでしょうか。

では、これらがいかにして達成できたか、
ということになるわけです。

大田先生は2つの提案をされています。

1つは「遺体の評価」いう点遺体として行う手法を提案されます。
亡くなった方の遺体をチェックして、
全身、顔、皮膚、口腔、手指、下肢などの様子から減点していくやり方です。

つまり、痩せすぎていないか、穏やかな顔か、褥層はないか、
口腔内は清潔か、指や脚の屈曲や拘縮がないかなどをチェックするのです。

もう1つは、身体活動の期間からの評価です。
生活自立、準寝たきり、寝たきりという大まかに三つのタイプに分類し、
寝たきりの方をさらに軽度と重度に分けます。

その移行期間を、疾患別(麻痺、認知症、パーキンソンなど)に分けつつ、
データを集め、標準線をつくります。

その標準線と比較して、長い期間、
健康な状態でいられたかを評価するという手法です。

いずれも、①の身体機能にしか評価出来ないかもしれませんが、
第三者からの客観的な評価は身体面でしか行いにくいことと、
②~⑤が関連して、①に影響を与えることを考えれば、
全くそういった手法がないより、はるかによいことと思われます。

こういった取り組みを、大田先生は、
「介護期リハビリテーション」と定義し、
介護業界に導入を呼び掛けています。

非常に重要な取り組みと感じました。
最初の話に戻りますが、介護職の低賃金の理由は、
社会的評価の低さが関連しているのは間違いないと思います。

なぜ、介護職の社会的評価が低いのかと言えば、
これまで客観的に評価出来る基準が存在していなかったからだと思います。

笑顔や充実感などといった、
客観的な評価以外の部分の重要性を軽視するつもりは一切ありません。

しかし、第三者から評価をされる上で、
客観性の重要性は非常に高い。

社会保障費は税金で賄われており、
どのようにして国民全体を説得するかと言えば、
データがなければ何も言えません。

いかにして、介護の重要性を訴えていくのか。
これまでの笑顔や充実感などといった軸に加えて、
客観性の軸が必要になると強く感じています。

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