ベルクソンを読んで
こんにちは。代表の小澤です。
梅雨前線の停滞で九州や岐阜、長野は大変な状況になっていますね。
加えてコロナウィルスの脅威。
罹災された方の苦労が偲ばれます。
一日も早い収束を願わずにはおられません。
新聞記事にもありましたが、「異常気象」がもはや日常になってしまう、
そんな気候変動の影響の大きさを感じます。
さて、今日は感銘を受けた本があるのでご紹介です。
ベルクソンという方が書いた「創造的進化」という本です。
子どもが恐竜や大昔の生き物などに興味があり、
一緒に本を読んでいたら興味がわいて、ダーウィンの進化論を読みました。
そのまま遺伝子とか科学の方向にいくのもいいかなと思ったのですが、
ちょっと角度を変えて哲学から進化をとらえた本書を選んでみました。
哲学書でいつも感じる難解さがあるため、今回もカタツムリの速度で、
読了までに時間がとてもかかりました。
また内容もどこまで分かっているものやら(;´д`)トホホ
でも!感銘を受けた点があったのでブログに起こしました。
①生命の本質を「創造」として、人間も含む全生物に無限の可能性を認めていること。
ただし、もちろん、知性や本能といった種ごとの特質を踏まえた制約は認める。
しかし、思いもかけない生命の跳躍(エラン・ヴィタル)が進化に生まれうるという意味で、
またそれが続いていくという意味で、
無限に進化の可能性を見る。
この考察は、生命共生の礎となりうるのではないか。
②生命を理解しようとするにあたって、外から客観的に眺める態度を退けたこと。
そうではなく、生命の中、自分自身の生命へと深く入り込むことを通じて、
生命の中からとらえようとしたこと。
ベルクソンによれば、「全体のなかにあらためて溶け込もうとする努力」、
これこそが哲学なのだという。
これは、社会においても、経済においても、組織においても、
非常に重要なことであり、学問においてもそうだと思われる。
③ダーウィンの進化論の限界を感じさせたこと。
ダーウィンの進化論はすごいが、科学の限界を感じさせるものであって、
絶対とは言えぬ断面的な理論にすぎないということを明白にした。
生命の主体者として考えることの重要性。
結果の寄せ集めでは、生きる哲学とはなりえない。
以上です。
客観的な批評もいいですが、やはり何事もどこまで主体者に肉薄できるか。
小林秀雄のドストエフスキーの評論を読んだ時に、
ドストエフスキーに成り代わっているかのような印象を受けました。
ベルクソンの哲学は、生命の主体者として、創造性を発揮する生き方を促す、
とても元気になるものだなと感じました。