「死の家の記録」を読みました
【読書録】
「死の家の記録」、ドストエフスキー著、望月哲夫訳、2013年、光文社古典新訳文庫
久しぶりにドストエフスキーを読みました。
少しマニアックかもしれませんが、ドストエフスキーには珍しい、
半ばルポルタージュの作品です。
革新派のサロンに出入りしていたドストエフスキーは、
1849年に死刑判決を受け、
皇帝からの恩赦の結果、シベリアへと流刑されます。
それから5年間、シベリアの監獄にて生活した記録が、本書になります。
ドストエフスキーの作品は暗いと言われますし、
今回の作品は監獄が舞台ということで、さらなる影があります。
しかし、ドストエフスキーのまなざしには、根本的なところに、
人間への、民衆への信頼があると感じます。
それを象徴するような、
本書のとくに印象的だった部分を掲載します。
「ロシア民衆の最大の、そしてもっとも際だった特徴とは、
まさにこの公平さの感覚であり、それを求める心である。
自分にその値打ちがあろうがなかろうが、ところかまわず、
何が何でも前へ前へとしゃしゃり出る雄鶏的な出しゃばり根性は、
民衆にはかけらもない。
表面を覆っている偽の殻を取り去って、
中にある穀粒を注意深く、間近に、偏見なく観察しさえすれば、
ある種の人は民衆のうちに思いも寄らなかったような資質を見いだすことだろう。
我々のうちのいわゆる賢人たちが、
民衆に教えることのできる事柄は多くはない。
はっきり言うが、むしろ話は逆で、
賢人たちのほうがもっともっと民衆に学ぶべきなのである。(p.339-340)」
このシベリアでの獄中生活によって、
ドストエフスキーの透徹したまなざしが磨かれたのではないかと感じられます。