「我と汝・対話」
マルティン・ブーバーが書いた、
「我と汝・対話」を読みました。
正直、かなり難解で、
理論的な理解はほとんど出来ていないと思われます。。。
ただ、部分部分で感動した文章や、
強く共感できる内容があったのでそれを紹介してみたいと思います。
瞬間に誠実であることによってのみ、
われわれは瞬間の総体とは全く別の人生を経験する。
われわれは瞬間に向かって答えるが、
同時に瞬間に対して責任を負う。
新たに創造される世界の具体性は、
われわれの掌中に委ねられている。
われわれはこれに責任を負っている。
(マルティン・ブーバー著、植田重雄訳「我と汝・対話」、岩波文庫、p.201)
いかに生きるべきかを述べた一節と思われます。
一瞬一瞬に誠実に向き合うことで、
より深く生きることを感じられると。
それは「今だけ楽しければよい」
という刹那の蓄積として得られる生とは異なるもの。
続けて、ブーバーは瞬間に誠実とはどのようなことか、
具体的な例をあげていきます。
犬があなたを見つめたとき、
そのまなざしに答えるがよい。
子供があなたの手をつかんだとき、
その触れ合いに答えるがよい。
群衆があなたを取り囲むとき、
彼らの苦しみに答えるがよい。(同上、p.201)
ケアに関わる人間としては、
一瞬しかない時間であろうと、
誠実に接しようとすることは非常に重要に思います。
忙しいからと言ってケアを受ける人を無視したり、
適当にあしらったりすることが、
自分自身の仕事の充実、ひいては人生の充実を奪っているのかもしれません。
集合体は、組織的な個人の人格性の抹殺の上に成り立ち、
共同体は、互いに向かい合うことによる人格性の高揚と
その確認の上に成立する。(同上、p.227)
これは組織について述べた文章です。
集合体と共同体は全く異なる組織と言っています。
集合体は画一を求め、個性と人格を否定する。
共同体は動的な関わり合いの中で、個性と人格を高揚させる。
動的な組織であるために、共同体は「存在する」ものではなく、
「生じる」ものだと。
このような組織を生み出すことは本当に難しいと思います。
しかし、このような感覚を覚える組織に触れたことも確かにあります。
ぼくも、このような組織を目指します。