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『ツァラトゥストラ』を読んで

「小澤くん、君はニーチェの『ツァラトゥストラ』は読んだことがあるかい?」

学生のころ、先輩に尋ねられてから15年。やっとこさ読みました。

ニーチェ自身は、この「ツァラトゥストラ」こそが代表作と自負していたそうです。
当時の学識者からは全く無視されていたらしいですが。

倫理の授業では、「超人思想」という言葉のインパクトに面喰った記憶がありますが、
読んでいるともっと身近な考え方のような気がしました。

人が自身を乗り越えて、世の中に何かを創造しようという意志。
「人間を超える」というよりは、
「自身を超える」という意味での「超人」ではないか。
トップアスリートや一流の芸術家などに感じられるような意味合いがしました。

それで、なおかつとっても明るい文章でした。
ダンスや歌など、軽やかなステップで進んでいく感じです。

自分自身を超えて強くなれ!
一流になれ!
それも窮屈にならずに、楽しく、朗らかに!
―そんなニーチェの励ましを感じました。

以下、心に残った文章です。

「うん、よくわかっているんだよ。
君に、どんな危険が迫っているのか。
俺の愛と希望にかけて、心から君にお願いしておこう。
愛と希望を投げ捨てるな!」

「君は友だちにとって、きれいな空気であり、孤独であり、パンであり、薬であるか?
自分にかけられた鎖を解くことができない者でも、友だちを救う者になることもある。」

「兄弟よ、お前たちの精神とお前たちの徳によって、この地上の意味に貢献するのだ!
あらゆるものごとの価値をお前たちが新しく定めるのだ!
そのためには戦う者であるべきだ!
創造する者であるべきだ!」

「そう、俺には傷つかないもの、埋葬されないものがある。
岩をも砕くものがある。
それは、俺の意志だ。
黙々と、変わることなく、俺の意志は歩きつづけている。」

「以前、創造する者として俺は、相棒を求めた。
俺の希望という子どもたちを求めた。
すると、なんと、そんなものは見つけられないことがわかった。
自分でまず創造しなければ、見つけられない。」

「ああ、中途半端な意志などさっぱり捨てて、怠惰にせよ、実行にせよ、きっぱり決心したらどうだ!
ああ、俺の言葉を理解してくれたいいのだが。
『ともかく、君たちが望むことをやれ。
―だが、その前にまず、望むことのできる人間になれ!』
『ともかく、君たちの隣人を君たちのように愛するのだ。
―だが、その前にまず、自分自身を愛する人間になるのだ!―」

「―しなやかで、説得力のあるからだは、ダンサーであり、ダンサーの比喩とエッセンスは、自分を楽しむ魂なのだ。
そういうからだと魂が自分を楽しむことこそが、『徳』なのだ。」

「おお、俺の魂よ、俺はお前にすべてをあたえた。
俺の最後のものまであたえた。
そして俺の手は、お前に触れて空っぽになってしまった。
―俺はお前に歌えと命じた。
それが、そうだ、俺の最後のものだった!」

「まさにほんのわずかなこと、もっともかすかなこと、もっとも軽やかなこと、トカゲのひと走り、風のひとそよぎ、さっと通りすぎること、まばたきの一瞬―わずかなことが最高の幸せを生み出すのだ。静かに!」

「―俺が待っているのは、もっと高い者、もっと強い者、もっと勝利を確信した者、もっと快活な者だ。
心もからだもしっかりとつくられた者を待っているのだ。
笑うライオンにやってきてもらわなければ!」

「高くのぼろうと思うなら、自分の脚を使え!
上まで運んでもらうな。
他人の背中や頭に乗せてもらうな!」

「兄弟よ、心をもちあげろ、高く!
それから脚のことも忘れるな!
君たちはすぐれたダンサーだ。
脚も高くもちあげろ!
もっといいのは、逆立ちすることだ!」

「なにしろ、恐怖は―俺たちにとっては例外なんだ。
逆に、勇気や、冒険や、未知・未経験のものにたいする喜びこそが、―つまり勇気こそが、大昔から人間にあったものだと思う。」

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